屋久杉と呼ばれた巨デブ

あり余る体脂肪で半世紀もの人生を棒に振った女

はじめまして。屋久杉でございます

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私は屋久杉のような巨体と共に半世紀を生きてきた。

最大スペックは以下の通りだ。

 

  身長168センチ

  体重はマックスで115キロ

 

0.1トンを超える人生。

このブログは、屋久杉と呼ばれた巨デブの半生を恥ずかしげもなく開陳する場である。

 

***

 

私の体型は遺伝によるものではない。

父も弟も中肉中背。母に至っては150センチちょっとしかない。

そんな夫婦の元に生まれてきた私は、10歳の秋に母の身長を超え、11歳で学校中の女性教師の身長も超え、小学校を卒業するころには父の身長も超えていた。

 

 

ある日、タンスの中で母子手帳を見つけた。

身長体重の記録欄はグラフ式。平均的な身長体重があらかじめ印刷されている。

 

そこに母が最初に打った点は、だいたい平均身長と平均体重の位置だ。

しかしながら大変遺憾なことに、「平均」という言葉が私の体型表現にふさわしかったのは、その頃が最初で最後となっていった。

 

生後〇カ月検診のたびに記録されていく点と線。ぐんぐん平均値を上回っていく点と線。母はどんな気持ちでボールペンを握っていたのだろう。

 

引き続けてきた折れ線グラフは、次第に母子手帳の上限を攻めはじめた。

そして容赦なく突破。やがてグラフは空中へと消え、二度と戻ってはこなかった。Never to return again。さようなら。嗚呼さようなら。さようなら。

 

 

ところで。

私が生まれたのは昭和41年。大昔だ。

「バラが咲いた」という歌が大流行していた年にあたる。

私の誕生を父はこの歌と重ね合わせて喜んだという。

 

お若い方々のために歌詞を要約する。

 

寂しかった僕の庭に、たった1輪、小さくて赤いバラが咲いた。

バラのお陰で僕の庭は明るくなった。

いつまでも咲いていてほしい。綺麗に美しく咲いていてほしい。

なのに時が過ぎてバラは散ってしまう。

僕の心はまた寂しくなってしまった。

 

 

大変申し訳ないことをしてしまった。

悪気があってやったことではないにせよ、私はバラにあるまじき成長を遂げ、気づいた時には屋久杉になっていた。

 

詐欺にも程がある。

寂しかった父の庭はどんどん狭くなっていく。

生い茂る枝葉は庭に影を作り始め、庭はどんどん陽の当たらんスペースと化していく。

暗澹たる気持ちで娘を見つめていたのではなかろうか。

 

そのうえ私はオノレの体重を支えることができず、ハイハイもつかまり立ちも遅く、自力歩行が可能になるまで長い時間がかかったという。

小柄な母いわく「あの頃は四六時中米俵を抱いて暮らしてたようなもんだ」とのことだ。

 

将来どんな娘に育つんだろう♪ とワクワクしていたであろう期待をブチ破り、

娘の私は米俵を経て、堂々たる屋久杉になってしまった。

 

 

血はちゃんとつながっている。

その証拠に、妙なところはよく似てる。

たとえばワキ毛

全く毛が生えないツルッツルのワキ。夏も快適な私のワキ。

 

しかしながら、夏に快適なのがワキだけだったのは青春の汚点である。

巨デブの夏は過酷の一語に尽きる。

 

***

 

追記だが、こんな私でも、50歳から2年かけて45キロの減量に成功した。

その件については、真面目に書いてる別ブログにおいおいまとめていこうと思っている。

コツが分かれば、ダイエットというのは意外と簡単なものだった。

 

 

1つだけ残念なことを書くならば。

ダイエットが成功して屋久杉を脱したのが、「バラが咲いた」をくちずさんだ父が三途の川を渡ったあとだったことだ。

 

残念な娘で誠に申し訳ないの一言に尽きる。